昔、漢(かん)の武帝(ぶてい)が降り立った本山(ほんざん)は、海へ接する南の裾に村落を抱え、山容を仰ぐ村人(むらびと)に神気(しんき)を崇められていた。

 さもあるべき、武帝もまた、七彩(しちさい)にきらめく山海にいざなわれ、遠く西方(さいほう)より臨御(りんぎょ)した。

 村人は、山中をなかば分け入った高所の平地(ひらち)に祈り場を築き、海幸(うみさち)と山幸(やまさち)とを捧げ、天恵のいやますことを御山(おやま)へ祈った。

 武帝は、村人の心ばえを愛(め)で、供(とも)に侍(はべ)る五鬼(ごき)へ命じ、村人に災厄無(な)からしめる陰徳をほどこした。

 村人は、「御山の霊験(れいげん)あらたかなり」と、信心を篤(あつ)くした。

 五鬼のうち、父たる眉間(みけん)と母たる逆頬(さかつら)が、武帝の命に殉(じゅん)じ、連れ立つと、にわかに遺子となった眼光(がんこう)・首人(おびと)・押領(おうりょう)の三鬼は、一日(いちじつ)の養生(ようじょう)を賜った。

 人里(ひとざと)へ足を踏み入れた三鬼は、心の荒(すさ)びにまかせ、娘を攫(さら)わんと村家(そんか)へ押し入った。

 村人は、石斧木櫂(せきふもっかい)を振り上げて阻(はば)むも、人ならぬものの膂力(りょりょく)になすすべも無い。

 堪(たま)りかねた村長(むらおさ)は、村人をかき分けて進み出(い)で、苦しまぎれのかけ合いをこころみた。

 いわく、「村と御山の祈り場を、千の石段を以(も)ってつなぎ、山行(さんこう)の難を除き給わば、必ずや、一年(ひととせ)にひとり、村娘を差し出さん」と、三鬼へ取り引きを持ちかけた。

 また、「万が一、明朝に至るも成(な)す能(あた)わざれば、人界への訪(おとな)いを憚(はばか)り給え」と、勇を発して言い継(つ)いだ。

 三鬼は、事も無げに諾(だく)するが早いか、寒風山(かんぷうざん)の岩石をかき集めては、山腹をにらんで積み上げだした。

 「しめたり」と、目配(めくば)せを交(か)わした村人は、事のなりゆきを見守りながら、しかし、狼狽(ろうばい)の色を面(おもて)に濃くした。

 三鬼の早業(はやわざ)は、夜明けを待たない。

 たちまちにして祈り場へ届かんとする石段は、村人の身の上を真っ暗に塗りたくった。

 「どか、どか、どかっ」と、ついに、九百九十九段目の石群(せきぐん)が打ち込まれた。

 「やんぬるかな」と、村長が悔悟(かいご)の両眼(りょうがん)を瞑(つむ)った刹那(せつな)――、闇をつんざくけたたましさで、一番鶏(いちばんどり)が朝明けを告げた。

 村長は、一縷(いちる)の光明(こうみょう)を捕(と)らまえ、ためらわず、「もはや刻限(こくげん)」と、大喝(だいかつ)して決めつけた。

 三鬼の性(しょう)は赤裸(せきら)である。

 刻(とき)ならぬ鶏鳴(けいめい)をいぶかしがりもしない。

 三鬼は、余力を一度に放ち、千年杉を引き抜くと、祈り場へ突(つ)っ立て、憤怒(ふんぬ)で我(われ)の負けを曝(さら)した。

 大樹(たいじゅ)を逆呑(さかの)みにした地鳴りのこだまが、遠ざかるのを追い越して、三鬼の背中は、見る見る木の間へ消え入った。

 入れかわり、木陰にあった人影が、村人へ近づき、わななく顔を露(あら)わにした。

 一番鶏の正体は、村娘のひとりを恋(こ)うる村の若勢(わかぜ)であった。

 今日にも娘の身に及ぶ不幸を、吾(わ)がものとする夢中の踠(もが)きが、咄嗟(とっさ)の哀哭(あいこく)をして真(しん)に迫らせたと云(い)う。

 父の無い、半人半妖(はんじんはんよう)の天邪鬼(あまのじゃく)と、噂も絶えぬ拗(す)ね者の若勢に、血潮の温(ぬく)みを村人は見て取った。

 窮境(きょうきゅう)を脱した安堵か、村人が真(ま)あたらしい石段へすわり込むと、頭上で赤光(しゃっこう)の流星が西方へ飛翔した。

 皆は、宙(ちゅう)を見上げたまま、ややしばらくも惚(ほう)けていたが、やがて、夜空がようやく白むのをおぼえた――。

 三鬼は、二度と姿をあらわさず、村人との約束は果たされた。

 村人は、いかなる思案による沙汰(さた)か、誰ひとり、鶏舎(けいしゃ)を守ろうとはしなくなった。

 

 〈のちの世に、本山は、名僧知識(めいそうちしき)あまた詣(もう)で、赤神神社(あかがみじんじゃ)となり、本山は神社神体となった。

 祈り場は、鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)・源実朝(みなもとのさねとも)の御代(みよ)に落成(らくせい)を見た五社堂(ごしゃどう)の神庭(かんにわ)となり、五社堂は神社本縁(ほんねん)となった。

 村落は、石段の利益(りやく)有り難く、神社門前(もんぜん)となって殷賑(いんしん)を極めた。

 武帝は、還御(かんぎょ)の砌(みぎり)、三鬼のすみかを男神窟(おのかみのいわや)・女神窟(めのかみのいわや)・海邊窟(うみべのいわや)とさだめ、本山の鎮護に任じたと、神社宝殿(ほうでん)の古書は、縁起(えんぎ)を今に伝うる――。〉

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