五社堂は赤神神社の本縁とされており、建保四年、別当円転が霊夢に感じて鎌倉の右大臣源実朝公に請願、円転に命じて叡山山麓の山王上七社を勧請したもので二社廃れたので五社に配祀されたとされています。各堂の名称は向かって右から、「三の宮堂」「客人権現堂」「赤神権現堂(中央堂)」「八王子堂」「十禅師堂」と呼称されています。また、この五社堂は建立、再建、修理の年代がよく解るため、近世社寺建築の編年上重要な建物とされています。

現存の五棟の社殿は江戸中期、宝永七年に建てられたものといわれ、向拝、屋根、柱、組み物などに珍しい工夫がされています。平成二年三月十九日に五棟すべてが国指定重要文化財に指定されています。

江戸時代初期の絵師・狩野定信の筆とされる『男鹿図屏風』には参道の左右に建ち並ぶ堂宇と巡礼するひとびとが描かれ、歴代領主の崇敬を受け続けた往時の盛観を物語っています。

五社堂は赤神神社の本縁とされており、建保四年、別当円転が霊夢に感じて鎌倉の右大臣源実朝公に請願、円転に命じて叡山山麓の山王上七社を勧請したもので二社廃れたので五社に配祀されたとされています。各堂の名称は向かって右から、「三の宮堂」「客人権現堂」「赤神権現堂(中央堂)」「八王子堂」「十禅師堂」と呼称されています。また、この五社堂は建立、再建、修理の年代がよく解るため、近世社寺建築の編年上重要な建物とされています。

現存の五棟の社殿は江戸中期、宝永七年に建てられたものといわれ、向拝、屋根、柱、組み物などに珍しい工夫がされています。平成二年三月十九日に五棟すべてが国指定重要文化財に指定されています。

江戸時代初期の絵師・狩野定信の筆とされる『男鹿図屏風』には参道の左右に建ち並ぶ堂宇と巡礼するひとびとが描かれ、歴代領主の崇敬を受け続けた往時の盛観を物語っています。

九百九十九段の石段

三鬼が築いたとされる九百九十九段の石段は時を超え、現在も祈りを届ける道として大切にされています。

内厨子

室町時代に作られた中央堂・内厨子は昭和四十ニ年六月十五日に重要文化財に指定されています。

内厨子

仏像や経巻を安置するところを厨子(ずし)と呼びます。赤神神社は以前、日積寺永禅院(にっしゃくじようぜんいん)という寺院でしたので、こうした厨子や円空作の木造十一面観音菩薩立像、狛犬、山門などが残っています。
内厨子は五社堂中央の赤神権現堂(あかがみごんげんどう)の中にあり、七社あった時の大きさだと伝えられています。

姿見の井戸

約二百年以上前から続く、一年を占う運試し。

水鏡占い

九百九十九段の石段をのぼった先にある鳥居をくぐり、五社堂に行く手前に姿見の井戸(すがたみのいど)と呼ばれている、自然石を積み上げた七角形をした古い井戸のお話です。

逆さ杉

千段まであと一段。怒りで我を忘れた三鬼の所業

さかさになった千年杉

憤怒の果てに三鬼が引き抜いた千年杉はしばらくの間、さかさのまま生えていましたが、いつしか力尽き、現在は赤神神社五社堂そばの社務所でひっそりと物語をつむいでいます。

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